約束の旅路

色違いの母さんよ

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久しぶりに泣けた映画。
 
日本人にとっては馴染みの薄い話だが、アフリカのエチオピアには、「ファラシャ」と呼ばれるユダヤがいる。(厳密には「ファラシャ」は侮蔑語(よそ者の意)であり、彼らは自らを「ベタ・イスラエルイスラエルの家)」と呼んでいた)
イスラエル政府は過去二度に渡って、このファラシャをイスラエルへ移送する大規模作戦を実行している。それが82〜84年の「モーセ作戦」と、91年の「ソロモン作戦」である。これらの作戦で、計2万4千人が「移送」(救出)されたわけだが、イスラエル社会ではファラシャへの根深い差別が問題となっている。
 
とまあ、本作を観るにはこれくらいの予備知識が必須。もっともある程度は映画を観ていれば分かってくるので、それほど構える必要はないけど。
 
1984年、飢饉に見舞われたエチオピアスーダンの難民キャンプには、多くの難民が流れ込んでいた。そんな中、「ユダヤ教エチオピア人はイスラエルへ移住できる」と知った(キリスト教徒の)ある母親が、9歳の息子を守るため一つの決断を下す。息子にユダヤ教徒だと偽らせ、幼い息子を亡くしたばかりのハナ(ファラシャ)に息子を託したのだ。母のそばを離れたくないと泣く少年に、母親は強い決意で言い渡す。「行きなさい、生きるの、そして何かになりなさい」と。
 
だが少年を「我が子」として守ろうとしてくれたハナも、イスラエル到着直後に死去。孤児となったシェロモ(偽名)を引き取ったのは、フランス系ユダヤ人夫婦だった。養父母は少年に深い愛情を注ぐが、黒人であるファラシャはそれだけで差別の対象にされる。ましてシェロモには、愛してくれる養父母にすら明かせない偽りの出自があるのだ。自分はユダヤ人でもシェロモという名前でもない…その秘密に思い悩む少年は、深い孤独を胸に、ただ生き別れた母を想うのであった。
 
 
もうね、この母親(たち)の想いってのが痛いほど伝わるのよ。子供の命を守るために、敢えて冷たく子を捨てる母親の気持ち。その子を託されたハナが、必死でシェロモを守ろうとする姿。そして孤児になったシェロモを温かく迎え入れ、息子への差別と身体を張って闘おうとする養母。どの「母親」も本当に素晴らしい。アフリカの貧困やシオニズムに翻弄される一人の少年が、「愛」によって救われていく。母親の愛は、人種や宗教や国家の壁すら軽々と超えて、真に大切なモノは何かを問いかける。豊かな国で、我が子を虐待したり殺したりしている親たちに爪の垢でも飲ませたいくらい。とまれ、子を持つ親にとっては、この前半だけでただもう滂沱。いやあ、久しぶりに気持ちよく泣けたわ。
 
後半はシェロモが成長し、ユダヤ人として生きようとあがいてみたり、医者としてアフリカで苦しむ同胞を救うことを志したりと、実にドラマティックな展開。不自由のない生活を与えてくれる養父母や、彼を愛してくれる恋人、そんな彼らにも真実を明かせないという葛藤。自分だけが助かり、母親を始め多くの同胞を置き去りにしてきたという罪悪感。そんなシェロモと真っ正面から関わろうとする養母ヤエル(ヤエル・アベカシス)の成長も含め、一つ一つのエピソードが実に丁寧に、かつ瑞々しく描かれる。
 
もっとも、丁寧すぎるせいで上映時間は140分超。映画の後半は尿意との格闘だった(笑)。予備知識より、鑑賞前のトイレのほうが何倍も必須だね(^_^;)。
 
ちなみに、シェロモを演じたのは、モシェ・アガザイ(幼年時代)、モシェ・アベベ(少年時代)、シラク・M・サバハ(青年時代)の三人。顔立ちも似ていて、イスラエル、フランス、エチオピアの言葉を話せる三人をよく集めたもんだわ(中でもサバハは、自身もエチオピアからイスラエルの移住経験者だとか)。
他の役者で印象に残ったのは、やはりヤエル・アベカシス。強い意志と限りない母性を感じさせる名演だった。
 
重厚な社会派作品であると同時に、母と子の絆の物語として、万人にお薦めしたい一本。
 
ベルリン映画祭では観客の圧倒的支持を得て、「観客賞」と「審査員特別賞」を受賞。
日本では来年三月、岩波ホールで公開予定。エチオピアのユダヤ人 (世界人権問題叢書)