ジェイムズ聖地(エルサレム)へ行く

こ、こいつが俺の弟です

http://www.roundtablecinema.com/james/index.html
 
試写後すぐ(こっちに)書けずに放置してたら、本番原稿の方が先になってしまった。締め切り今日じゃん!て、さっき気づいて慌てて送稿した。危なかった!
 
いやあ、いかんなあ、マジ忙しすぎるよ。
それにしても、こっちを先に書いてないと本番の時に考えがまとまらなくて焦るわ。逆に本番原稿を先に書いちゃうと、こっちへ書く気力が減退するしね(^^;。
 
というわけで、このところ更新もままならない状況で更にモチベーション低下中ですが、この映画は結構面白かったので一応書いておこうかと。(以下ネタバレあり)
 
えーと、昔々…じゃなくて今々(そんな言葉あるのか)、アフリカの小さな村にジェイムズていう純朴な青年がいました。彼は敬虔なクリスチャンでした。彼は村の次期牧師に任命され、エルサレムへ巡礼の旅に出かけます。遠く憧れの地を目指して苦難の旅を続け、そして遂に、ペンギュリオン空港(テルアビブ近郊だそうな)に降り立ちます。
 
ところが、黒人の彼は入国審査で出稼ぎ労働者だと決めつけられ、パスポートを押収された挙げ句、逮捕されてしまいます。いきなり神からの試練です。
えーと一応説明しておきますが、そもそもイスラエルって国はユダヤ人が多いわけでして、しかもかなり裕福な近代資本主義国家なわけです。ユダヤ人と聞いて何を思いますか。そーです、世界の資本を裏で操る陰謀説とか、ベニスの商人とか、だいたい金儲けが上手い人たちです。まあ歴史的に国を持たない人たちでしたから必然的に処世術が身に付いたということでしょうが、とにかくその恩恵を受けようと、イスラエルには約50万人の不法労働者が住んでるんですね。人を見たら泥棒と思え、黒人を見たら不法労働者と思え、てのが入国管理官の常識になっていたとしても、あながち責められない話ではあります。
 
と、話が脱線しましたが、ジェイムズ君は何が何だか解らぬままブタ箱に放り込まれます。何が何だか解らぬままぼーっとしていると、おおさすが次期牧師、いきなり救いの手がさしのべられます。
それはシミという名の派遣会社のオヤジでした。派遣会社といっても要は手配師です。シミは時々留置場を訪れては使えそうな奴に保釈金を支払い、無理矢理雇います。簡単に言えば人買いです。
ジェイムズ君はトラックで何が何だか解らぬままタコ部屋に連れ込まれ、保釈金の借金を説明され、何が何だか解らぬままそこで働くことになってしまいます。ていうかジェイムズ君、何が何だか解らなすぎ。
 
その日から、来る日も来る日もあちこちに駆り出され、掃除人として働くジェイムズ君。これも神様が与えた試練だと、真剣に働く姿は周囲の信頼を集めますが、いつまでたっても解放されません。しかも田舎者の彼には金の価値が解りませんでした。報酬を受け取るのを断り、「ラクダが針の穴を通るより、金持ちが天国へ行くのは難しい」などと雇い主に説教を始めます。宗教的な内容はともかく、処世術としては最悪です。ていうかジェイムズ君、純朴すぎ。
 
ある日、シミの父親サラーの家に連れて行かれたジェイムズ君は、その純朴さが気に入られ、以来サラーの家で働くことになります。仕事は主に庭の手入れですが、時々サラーの友達が来た時に、バックギャモンのサイコロを振る役もやらされます。ジェイムズ君はどういうわけか、サイコロを(2つ)振ると必ず6と6を出すことが出来るのです。この小さな「奇跡」は、ジェイムズ君が神様側の人間であることを表しています。ていうかそう思いました。でも、もしかしたら単なる手品かもしれません。何にしても、ジェイムズ君すごすぎです。
 
そんなジェイムズ君にサラーは、ことあるごとに「フライヤーになるな」と言います。フライヤーとはヘブライ語で(簡単に騙され利用される人=搾取される人)を指す言葉です。そんな言葉に踊らされ、ジェイムズ君は他人を搾取し、賢い者が勝つ資本主義のルールを学んでいきます。でも敬虔なクリスチャンだったら、右の頬を打たれたら左の頬も出すはずです。もう根っからのフライヤーなんです。とてもジェイムズ君に出来ることではありません。
 
と思いきや、意外と簡単に物欲に目がくらんだジェイムズ君は、内職として仲間の労働者を使い、自らが手配師と化していきます。勿論、シミには内緒のブラックマーケットが相手です。ブローカーとしての才能を開花させたジェイムズ君は、どんどんお金持ちになっていきます。ジェイムズ君、本来の目的を忘れすぎです。
 
そんな彼に、本来の目的を思い出させてくれたのは、意外にもサラーでした。サラーの住む古い家が、欲深な息子夫婦によって取り上げられそうになるのを見たジェイムズ君は、次第に本来の自分を取り戻していきます。
 
でもそれは、雇い主シミへの裏切りが露見することを意味します。勿論、タダでは済まないのでした。ああジェイムズ君、哀れすぎ。
 
てな話。現代的な寓話だったので、ちょっとお伽噺風に書いてみたりして。
 
なんというか、アイロニーとユーモア溢れる話で、すごく深刻なテーマなのに、とっても明るく楽しい雰囲気になっているのが印象的。搾取される側と搾取する側を行ったり来たりする人間の話なんて、ふつーこんな軽快なテンポじゃ進まないんだけどね。ていうか、テーマ的にはもっと暴力的だったり、痛みに満ちた話にする方が簡単なのよ。そのほうがテーマを伝えやすいし。それを敢えて楽天的な寓話に仕上げたあたりが、実に巧いというか、その鋭い社会風刺に感心した。
 
まあアレだね。近代資本主義国家であるイスラエルと、その中に位置する宗教の聖地、ていう対比がそれだけで面白いからね。どう考えても根底部分では矛盾するでしょ。フライヤーから搾取するのは宗教的(人道的)には「罪」だけど、人は誰かをフライヤーにせずに生きていくことは出来ないんだよ。資本主義社会の中では。
 
そうしたイスラエル社会の矛盾を背景に、資本主義社会とかグローバリズムなんてものが抱える問題を、実にシンプルに描いてみせる本作。こんな重たいテーマを、ほのぼのとした笑いを交えたヒューマンドラマにしちゃったラナアン・アレクサンドロヴィッチ監督は、凄いと思う。イスラエル映画、侮れませんな。
 
今週末公開。