街のあかり

待ち人来たらず

 
とはくすと書く。仕事が多忙を極める中、この春から始めた某活動のスケジュールがやけにタイト。そこに原稿の締め切りが重なったりするものだから、このところストレスが溜まる一方だ。
俺は昔から中途半端にアレコレ手を出すきらいがあって、いつも結果的に自分の首を絞めてきた。器用貧乏というか、結局どこへ行っても妙に浮いた形になる。精神的に余裕があるときは「それもまた良し」などと笑っていられるが、心を亡くしている時はこれが妙に寂しい。どこへ行っても中途半端なハミ出し者という自覚によって、実に寂寥たる気分になるのだ。
 
そんな孤独な気分を抱えたまま、仕事帰りに寄ったのがこの試写。最近試写に行く時間も少ないし、アキ・カウリスマキの新作くらいは追っておかなくては…という半ば義務感によるもので、正直この日はまっすぐ帰りたかったのだが…。
 
試写会場は映画美学校の第二試写室。古めかしい建物の更に暗い地下にあるここは、豪華な設備が整った他の試写室より、はるかに俺好み。だが人間は何ごとも気の持ちようか。普段はいかにも歴史の重みを感じさせるそこも、この日は古くて汚れた絨毯と、布地の擦り切れた椅子ばかり目立つ、裏ぶれた空間にしか見えなかった。
外は春だというのに冷たい雨が降りしきる、平日の夕刻。いかにも孤独な中年男の居場所に思えて、ますます気が滅入るのだった。
 
映画が始まる。主人公コイスティネン(ヤンネ・フーティアイネン)が、誰もいない深夜のデパートを歩いている。彼の仕事は警備員だ。巡回を終えて、警備会社に戻り、巡回先の鍵を返し、着替えて帰る。それが彼の仕事であり日課でもある。
 
コイスティネンに友人はいない。恋人や家族もいない。決して人付き合いの悪い性格ではないのだが、要領の悪い彼は他人と深い関係を築くのが苦手だ。同僚は彼の朴訥過ぎる性格をからかいはするが、仲間として誘うことはない。コイスティネンは誰からも嫌われていないが、好かれてもいない。ヘルシンキの夜に、彼は影のように生きている。
 
コイスティネンのことを気に掛けているのは、彼が常連として通う(これまた孤独な女性)ソーセージ屋のアイラ(マリア・ヘイスカネン)だけだ。だが皮肉なことに、コイスティネンにとってアイラは単なるソーセージ売り以上の意味を持っていない。アイラ相手に、ひとくさり孤独への呪詛を吐き捨てて帰宅する。それがコイスティネンにとって唯一他人との「会話」なのだが、本人にとっては独り言と変わらない。アイラも黙ってそれを聞いてやるだけだ。
 
そんなコイスティネンに、ある日、一人の女が近づいてくる。
「あなたが寂しそうだったから」と、ミルヤ(マリア・ヤンヴェンヘルミ)はコイスティネンをデートに誘う。誰からも愛されるどころか、まともに相手にされたこともないコイスティネンは、たちまちミルヤに夢中になる。長かった冬に、春の訪れを予感するコイスティネン。滑稽なまでに浮かれまくるのも無理はない。
 
だが、観客はすでに気づいている。コイスティネンの仕事先(深夜のデパート)を訪ねたミルヤが、「会いたかったわ」と寄り添いながら、その視線は宝石店へ入るために彼が押す暗証番号を必死で追っていることを。そしてミルヤが、実はマフィアのボス(イルッカ・コイヴラ)の情婦だということを。
 
コイスティネンのコーヒーに睡眠薬を入れ、ミルヤは宝石店の鍵を手に入れる。数日後、宝石はマフィアに強奪され、コイスティネンは共犯と疑われて逮捕される。証拠不十分で釈放されたものの、仕事を失った彼は更なる孤独に押し潰されていく。
 
どこまでも、どこまでも、深い孤独に落ちていくダメ男。嗚呼、今日観るんじゃなかった。そうは思っても、もはや席を立つ勇気はない。いまこの場所で、このダメ男にこれだけ感情移入している奴は他にいないだろう。どんどん窮地にはまりこみ、誰かがそこから救い出してくれることもなく、自分の居場所を失っていくコイスティネン。裏切られていることを知りながら、それでも愛に殉じることしかできないダメっぷり。彼が抱いた儚い夢は、次から次へと打ち砕かれていく。まさに自意識過剰で愚鈍で、中途半端なハミ出し者。クソ映画め!誰が俺の話をしていいと言った!
 
映画の終盤、そんな救いのない物語を象徴するかのような、厚い雲が映し出される。
だが、最後の最後、その雲の切れ間から朝陽がわずかに差し込み、ある種の孤独死寸前だったコイスティネンを優しく包み込む。「死なないで」と女が言い、「ここじゃ死なない」とコイスティネンが答える。
 
このラストが「希望」なのか。即座には解らなかった。今でもよくは解らない。ただ、清らかな朝陽がダメ男を照らすラスト・シーンは、奇跡のように美しかった。なんという優しさに満ちたエンディングだろう。
 
落ち込んでいる時、唐突に優しくされると、思わず泣けてくることがある。このクソ映画のエンディングにも思わず泣かされそうになったので、俺は急いで試写室を出た。映画のラストを思い浮かべてみた。現実には、あれほどささやかな希望すら見出せない「孤独」がどれだけあることか。無性に煙草を吸いたくなったので歩きながら煙草を吸った。周囲のビルから出て来た女性たちが汚いものでも見るように俺を見つめていたので、立て続けに三本吸ってやった。喫煙者はいまや社会の敵だ。構うものか。
既に暗くなった街を、駅に向かって歩きながら更に二本吸った。喉が痛くなった。周囲のビジネスマンたちは颯爽と、健康そうに歩いていた。誰も煙草なんて吸ってなかった。自分以外の皆が幸せそうに見えた。雨はやんでいたが、煙草が目に染みて、「街のあかり」が滲んで見えた。
 

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