バベル

何気にエロい女子校生

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遠い昔、人間の言葉は一つだった。
 
その昔、東から移動してきた人々がシンアルの地に住み着き、“天まで届く高い塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう”と言い、巨大な塔を建設し始めた。(創世記11章4節)
 
しかし、それを人間の高慢と考えた神は怒り、言われた。“我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉を聞き分けられぬようにしてしまおう。”(同7節)
 
やがてその街は、バベルと呼ばれるようになった。神がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから、彼らを散らされたからである。(同9節)
 
もしこれが本当だとしたら、神ってのは実にケツの穴の小さい奴だね。いーじゃねーか「でっかい塔を建てて有名になろうぜ!」て思う連中がいたって。まあ、百歩譲ってそれが人間の慢心だとしても、それに怒って「互いに話せないように言葉を分けてやるムキー!」てのはやり過ぎだよ。自分で造ったら何してもいいわけじゃないだろうに。神様のイジワル〜!(笑)
ていうか、バベルの塔なんて98メートルそこそこでしょ。当時としちゃでかいけど、今じゃそんな建造物いくらでもあるし。天に近づくのがダメならスペースシャトルや宇宙基地建設なんてのはどんだけ怒られるんだか。
 
とまあ、ヒステリックな神の逆鱗に触れてから3000年。人類は未だに言葉の壁に苦しんでいるんである。異文化との相互理解は今なお難しく、些細な誤解から生じた紛争が後を絶たない。
 
ロッコの幼い兄弟も、その犠牲者だ。(以下ネタバレ多し)
 
家畜を襲うジャッカルを追い払うため、父親からもらった一丁のライフル。射撃の下手な兄アフメッド(サイード・タルカーニ)は、弟ユセフ(ブブト・アイト・エル・カイド)にからかわれ「それなら、あの遠くのバスでも撃ってみろよ」と弟にライフルを手渡す。弟の冗談半分で撃った一発の銃弾がその後、どれほどの問題に発展するかなど、この時この兄弟に予想出来るわけもなかった。
 
しかし、その銃弾は、観光バスに乗っていたアメリカ人女性スーザン(ケイト・ブランシェット)を射抜いてしまう。
 
銃撃をテロと思った(バスの)乗客達はパニックに陥る。被害にあったスーザンのことより、自らの安全確保を主張する乗客達。救急車を呼ぼうとしても、アメリカ政府は更なるテロを恐れてそれを却下。スーザンの夫リチャード(ブラッド・ピット)の必死の説得も虚しくバスは去り、夫妻は現地ガイド(モハメド・アクサム)の村に置き去りにされる。
 
夫妻の子供、マイク(ネイサン・ギャンブル)とデビー(エル・ファニング=ダコタの妹)を預かる乳母アメリア(アドリアナ・バラッザ)も困っていた。メキシコで息子の結婚式があるというのに、夫妻がまだ帰国しないのだ。やむなく、彼女は子供たちを連れ、甥サンチャゴ(ガエル・ガルシア・ベルナル)の車でメキシコへと向かう。
  
全米メディアがテロと騒ぐ中、モロッコ警察はライフルの流れを突き止めていた。それは数年前、日本人のハンターが地元ガイドにプレゼントした銃だった。
ハンターの名はヤスジロー(役所広司)。東京のエリート会社員だが、最近妻が自殺し、それが原因で高校生の娘チエコ(菊池凛子)とは心の溝が深まっていた。
 
チエコは聾唖者だった。他人の声が聞こえない。自分の声が出ない。母を失った悲しみ、異性への好意や欲望を誰にも訴えられないもどかしさから、最近は誰に対しても攻撃的になってしまう。
 
アフメッドとユセフは、父アブドゥラに連れられ山へ逃げこむ。追いかける警察の発砲に、思わず応戦してしまうユセフ。
 
信頼していた友人にも裏切られたチエコ。父に面会に来た刑事へすがろうとするが、それすら(いつものように)拒絶され、チエコは絶望の淵に追い込まれてゆく。
 
サンチャゴの運転で、再びアメリカへ戻ろうするアメリア。だがサンチャゴが飲酒運転で捕まりそうになり、国境を突破。アメリアと子供たちを砂漠に置き去りにして逃走するサンチャゴ。逃亡犯の一味と見なされ、警察から追われる立場になったアメリア。マイクは泣き、デビーは砂漠の熱で意識を失ってしまう。
 
ある悲劇以来、心が通わなくなっていたスーザンと、その悲劇について語り合うリチャード。一瞬、夫婦の絆を取り戻したように思えた二人。だが、スーザンはどんどん衰弱していく。
 
そしてモロッコでは、警官隊の一斉射撃が始まった。
 
 
言葉が通じない。心が通じない。分かり合えない。言葉の壁だけではなく、同じ国民、夫婦、親子であっても、想いはどこにも届かず、相手の立場も理解出来ない。伝えようともがけばもがくだけ、孤独を深める人間たち。自宅にいながら世界中の人たちと会話出来る技術を持ちながら、隣人や家族とのコミュニケーションすら上手くいかない…それが我々の世界だ。これが天罰なのだとしたら、なんと残酷な罰だろうか。
 
とまあ、観た直後はいろんな感傷に浸ったけど、よく考えたら今に始まった問題じゃないしね。
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督作としては、(個人的には)『21グラム』のほうが好きだな。
本作もその構成の巧さには驚かされたけど、やや饒舌に過ぎる。これだけの尺がなければ表現出来ないテーマとは思えん。観た直後はアレコレ考えたけど、一晩寝たら余り記憶に残ってないし(笑)
 
キャスティングは非常に面白い。ブラピが普通のオジサン役てのも珍しいし。アドリアナ・バラッザの慈愛に満ちた乳母役、ガエル・ガルシア・ベルナルの抑圧された怒りの暴発ぶりは、実に素晴らしい。アカデミー賞候補で話題の菊池凛子も、なるほど頑張ってた。勇気ある挑戦だよ。ただ、彼女の場合どうも「女子校生」らしくないんだよなあ…日本人の目から見ると。ていうか実年齢26歳くらいでしょ。ちょっと無理あるよ。
 
本作で一番印象的だったのは、スーザンを看病した現地ガイドが、夫婦との別れ際に金を受け取らなかったシーンかな。本筋とはほとんど関係のないシーンだけど、俺個人としては妙に心に沁みたわ。善行やサービスを金に換えない人間が、まだこの世界に存在していると思えるのは良いことだよ。
 
複数の物語をシンクロさせる手法は目新しくもないが、4言語・3大陸に及ぶロケは流石にスケール感を生んでいる。話題優先の感は強いものの、まあ観て損のない佳作。「傑作」てほどじゃないけど、真面目に一所懸命作った作品なんだなあ…てのは伝わるしね。構図やライティングの一つ一つまで、手抜きのない編集は一見の価値有り。てことで、とりあえずお奨め。

 
しかしアレだね。コミュニケーションてのは考えるほどに難しいもんだね。この世の悲劇の大半は、その断絶が原因だし。一つ一つは単純だったりするんだけどねえ。技術が進歩した分だけ、人は想像力を失ったんだろうな。
ちなみに試写室で隣に座ってた外人。携帯の電源切らないもんだから上映中に鳴ってウルサイのなんの。よっぽど注意しようと思ったけどやめた。理由は別に「言葉の壁」じゃない。奴のほうが俺の1.5倍はデカかったから。そんだけ。